![]() 古澤良治郎(ふるさわりょうじろう) <葬儀の際、川村年勝氏よりいただいた言葉。> <葬儀にてお配りした(秘)音源についての解説> |
在学中よりドラマーとしての活動を始める。卒業後の1969年、大学の先輩にあたる本田竹廣トリオに参加。翌70年には自己のグループを結成。以来、カルテット、クインテット、「良治郎バンド」「パパラッコ・バンド」と編成、メンバーを変えながらも、着実に精力的な活動を続ける。この間、現在率いる「ね」「Ash」に至るまで新人の発掘にも熱心に取り組んできた。 大学の先輩であり、かつて所属したグループのリーダーである、あの山下洋輔をして「自分の呼吸そのもののようなリズムや、言葉の音程そのもののようなメロディー」と語らしめたように、シンプルでストレートな曲作りには定評があり、自らのアルバム以外にも他のアーティストへの作品提供、映画、演劇、TVCMへの曲提供など、コンポーザーとしても活動の場を広げている。 古澤良治郎は、以上のキャリアが物語るようにオーソドックスなジャズを出発点としながらも、狭いジャンルや演奏スタイルにとらわれることなく、常に柔軟な発想と思考で音楽創造に取り組んでいるマルチミュージシャンといえる。彼の音楽はあらゆる世代のファンに広く親しまれており、それは同時に彼の音楽の普遍性を示すものである。 2005年に還暦を迎えた記念にまとめたプロジェクト60のページに年譜や参加作品をまとめてありますので、そちらもあわせて是非ごらんください。 また2004年には藤田傳演出のもと、ひとり芝居にチャレンジ!役者としての顔も板についてきた。 |